法律の根拠って?

一歳になったばかりの娘が、テーブルの上のスマホをつかんで持っていってしまうことがあります。

私たちは特に何も言いません。子どもが物を触るのは当たり前のことだからです。

ところが、もし保育園の先生が家までやってきて、「今後はこのスマホは私が預かります」と言って持っていってしまったら、私たちは間違いなくこう聞き返すはずです。

「先生、それはどういう権限があってのことですか」と。

この「どういう権限があってのことですか」という一言こそが、行政法でいう「法律の根拠」の正体です。

相手が何かをするときに、こちらが「それをする権限は、いったいどこから来ているのですか」と聞き返したくなるかどうか。この感覚さえつかんでしまえば、委任だの行政指導だの職権取消しだのという、一見バラバラに見える制度が、すべて同じ一つの問いのバリエーションだったと分かってきます。

私たちと役所は、ルールが逆になっている

もう一つ、身近な例で考えてみます。

子どもが放課後に校庭でボールを蹴って遊ぶのに、先生の許可はいりません。

やってはいけないと決まっていないことは、やってよいからです。

ところが、先生が生徒を一時間立たせて反省させようと思ったら、先生の気分だけでそれを決めることはできません。

学校はあらかじめ、「遅刻が何回続いたら、こういう指導をする」というルールを定めておかなければなりません。

先生は、生徒を叱ってはいけないわけではありません。ただ、叱るという行為には、あらかじめ決められたルールという裏付けが必要なのです。

私たち一般の国民と、行政機関の間にも、実はこれと似たような向きの違いがあります。私たちは原則として、法律で禁止されていないことなら何をしてもかまいません。

ところが行政機関は逆で、国民を強制的に従わせたり、その自由を制限したりするような場合には、法律が許可していることしかできません。役所の側が国民の権利に踏み込もうとするとき、いつでも「法律は私にそれをする権限を与えているだろうか」という問いに答えられなければならない、ということです。

「法律の根拠が必要かどうか」という、行政書士試験でくり返し問われるあの論点は、結局のところ、この一点に尽きます。行政機関が「自分がそうしたいから」という理由だけで国民を強制してよいのか、それとも「法律がそうしてよいと言っているから」という理由がなければ動けないのか。今日は、この一つの問いを軸にして、三つの場面を私たちなりに見ていきたいと思います。

権限が「引っ越す」のか、社内の手伝いか

まず一つ目の場面は、行政機関どうしの権限の動き方です。

たとえば感染症法に基づく入院措置は、都道府県知事の権限とされています。

この権限を、知事が保健所長にそっくりそのまま渡してしまう場合を「委任」と呼びます。

委任がなされると、以後は保健所長が自分自身の名前と責任で決定を下すことになります。

ここで、私たちがさきほどの娘のスマホの話を思い出すと分かりやすくなります。

もともと法律は「入院措置を決めるのは知事だ」と決めているのに、知事の一存で「今日からこれは保健所長の仕事にする」と決めてしまえるとしたら、当然こう聞きたくなるはずです。

「知事さん、それはあなたが勝手に決めていいことなのですか」と。この問いに答えるためには、法律のどこかに「知事は保健所長に委任できる」と書かれていなければなりません。

だからこそ委任には、必ず法律上の根拠が必要とされます。試験でよく問われる生活保護法上の保護決定事務が、都道府県知事から福祉事務所長に委任されるケースも、この典型です。

一方、知事が単に多忙だからという理由で、副知事に代わりに決裁してもらう場合はどうでしょうか。

この場合、対外的にはあくまで知事本人の名において処理が進みます。権限の所在も責任の所在も動いていないので、私たちが「あなたに何の権限があるの」と聞く相手は、あくまで知事のままです。単なる社内の仕事の割り振りにすぎないので、法律の根拠は要りません。

書類上も知事の名前のままで処理が進む専決・代決も、同じ理屈で根拠は不要です。ただし、知事が急病で倒れて本人の意思がまったく働かなくなった場合には話が別で、地方自治法第152条が定める法定代理のように、法律があらかじめその代理関係を定めておく必要があります。本人の意思によらず法律が強制的に代理関係を発生させる以上、これにも根拠が必要になります。

従わせるのか、同意を得るのか

では、権限の分配の話から離れて、行政機関が国民に直接働きかける場面はどうでしょうか。

冒頭のスマホの話でいえば、先生が「スマホを預かります」と強制的に取り上げるのではなく、「危ないからカバンにしまっておこうか?」と優しくお願いするような場面です。

行政指導を例に考えてみます。

建築確認の窓口で、担当者が「もう少し隣地との距離を空けてもらえませんか」と事業者に働きかけたとします。事業者が「いえ、このままで進めます」と答えたら、行政はそれ以上どうすることもできません。相手が断ってしまえば終わりの行為に対して、私たちは「あなたに何の権限があるの」と聞く必要すらありません。強制していない以上、そもそも権限を持ち出す場面ではないからです。行政指導には法律の根拠は不要とされています。

行政契約も同じ理屈で説明できます。

地方公共団体が事業者との間で公害防止協定を結び、排出基準について法令より厳しい数値を約束させるようなケースを考えてみます。結果として事業者の行動には一定の制約がかかりますが、これは行政機関が一方的に押しつけたものではなく、事業者自身が合意して署名したものです。自分で「あなたに何の権限があるの」と聞く前に、自分でうなずいて判を押している以上、行政機関の側に特別な法律の根拠は求められません。

行政が自ら間違いを正すとき

三つ目は、行政機関が自分の下した決定を後から動かす場面です。ここでも問われているのは、「行政は法律の根拠なしに、行政がいったん生じさせた法的状態を動かしてよいのか」という問題です。

たとえば、本来は入院措置の要件を満たしていなかった人に対して、誤って措置がなされていたことが後から判明した場合を考えてみます。

行政機関がこれを取り消し、適法な状態に戻すことを職権取消しと呼びます。これに対して、成立した時点では適法だったものの、その後に病状が回復するなど事情が変わり、措置を続ける必要がなくなった場合に、将来に向けてその効力を失わせることを撤回と呼びます。

ここで私たちが「あなたに何の権限があってそれを取り消すのですか」と聞いたとしたら、答えはこうなります。

「そもそも入院措置を決める権限は、法律が私に与えてくれたものです。

ならば、その決定が間違っていたときに正す権限も、当然そこに含まれているはずです」と。もし決定を下す権限はあるのに、間違いを正す権限だけは別に法律で定めなければならないとしたら、それこそ不自然な話です。だからこそ、職権取消しにも撤回にも、個別の法律の根拠は不要とされています。

おまけ:取り消せても、無条件ではない

ここまでの話だけを読むと、「行政機関はいつでも自由に取消しや撤回ができる」という印象を持たれるかもしれません。ですが、これは法律の根拠の要否とは別の話として、もう一段注意が必要です。

とりわけ、その決定によって国民が利益を受けていた場合(たとえば許可や給付を受けていた場合)には、その国民がその決定を信頼して生活や事業を組み立てていることがあります。

こうした場合にまで無条件で取消し・撤回を認めてしまうと、国民の信頼を裏切ることになりかねません。そのため、授益的な行政行為の取消しや撤回については、信頼保護の観点から一定の制約がかかる場合があるとされています。「法律の根拠は要らない」ことと、「だから常に自由にやってよい」こととは、イコールではないという点を、あわせて押さえておきたいところです。

まとめ

冒頭の問いに戻ります。

「法律の根拠が必要かどうか」というのは、結局のところ、行政機関が何かをするときに、私たちが「あなたに何の権限があるの」と聞き返したくなるかどうか、という一点に尽きます。

委任や法定代理は、権限の担い手そのものが変わってしまうので、その問いに答える根拠が要ります。授権代理や専決・代決は、権限がどこにも動いていないので、その問いを聞く相手自体が変わりません。

行政指導や行政契約は、相手が納得して従っているだけなので、そもそも「あなたに何の権限があるの」と聞く場面ではありません。職権取消しや撤回は、もともと持っている権限の中に、間違いを正す力も含まれていると考えられるので、あらためて根拠を用意する必要がないのです。

行政法は、暗記だけで解ける科目ではありません。「あなたに何の権限があるの」という、この一言だけを持っていれば、初めて見る論点でも、自分で考えて答えに近づけるようになります。

私は行政法を勉強していて感じるのは、「法律の根拠が必要か」という問いは、行政にブレーキをかけるためだけのルールではないということです。行政がどこまで自由に動けて、どこからは法律が必要になるのか。その境界線を理解することこそ、行政法を学ぶ面白さなのだと思います。